Claire(トモ)のブログ

語学力ゼロ、コネもない状態からのスタート。まったく海外とは縁のない状態からでも海外で生活することはできる。飛び込んだ先は、レベルアップの楽園が広がっている。人との出会いの数だけ好きな国が増えていく。海外で生き抜くための情報を発信しています。

プロフィール Part3 〜やらされる勉強からの卒業〜



こんにちは、Claireのトモです。


では、プロフィールの続きを書いていきます。



地元とは大きく異る環境に身を置いたことで、
少しずつでしたが、人と接することに慣れていきました。


やはり、頭で考えているだけでは難しいです。


人に慣れるには、人と接する場に行くしかありません。


会話に慣れるには、会話をするしかありません。



そこは、言語も同じ。


言語を身につけるには、言語を使うほかに道は無い。


そのことを薄々と感じ始めていました。



最初は中国人と接するのに、
あまり乗り気ではありませんでした。


ルームメイトの彼に押しつけられて、
仕方なくという感じでした。


ですが、多くの中国人とやり取りする中で、
自分をオープンにするしかありませんでした。



自分のことを聞かれる。
日本のことについて質問される。


答えていくしかありません。


とにかく話すしかない環境でした。


僕も分からないことだらけなので、
質問して聞かなければなりません。



中国に来て3ヶ月ほど経って、
はじめて中国語を学ぶ必要性を感じました。



自分の言いたいことが言えない。


言えたとしても簡単な表現になって、
ニュアンスが変わってくる。


相手が真剣に伝えてくれているのに、
言ってることの数%しか分からない。


意味を雰囲気でつかんでも、
相手の本心までは理解できない。


本当にもどかしく感じました。



中国に来るまでは、とにかく会話する場面から
逃げることばかり考えていました。


中国に来てからは、
集まりの場に強制的に連れていかれたのですが


そのときも、「頼むから俺に話を振らないでくれ」
いつもそう思っては、ガチガチに緊張していました。



そんな自分が、もっと会話したいと思うようになった。


これは大きな変化でした。



自分のことばかり考えて余裕がなく、
周りを見る余裕がまったくありませんでした。


人と接することに少し慣れてきたら、
少しずつ人に興味を持つようになっていました。


「どんなことを考えているんだろう?」
「どんな人生を歩んできたんだろう?」



それまでは、学校での授業をなんとか
乗り切ることだけを考えていました。


事実、その頃は学校に行くことが嫌になりかけていました。


寝坊しては、授業を欠席なんてことも
何度もあったぐらいです。


落ちこぼれになる寸前でした。



そんなときに湧いてきた思い。


「もっと、会話できるようになりたい!」



自分のことを伝えられるようになりたい。
相手の言っていることを理解したい。


それが大きな原動力になりました。



僕は、やっと会話をする舞台に立ったのです。



そこからは、勉強に対する意識が
文字通り180度変わりました。


実践で感じた自分に足りない部分。
伝えるためや理解するために必要な技術や知識。


学校の授業で、必要なことを吸収して、
とにかく実践してやろうと決めました。



生まれてはじめて、自分から学びたいと思いました。


やらされる勉強を卒業した瞬間です。


同時に学ぶ楽しさを実感するきっかけになりました。



このときから授業の受け方が変わってきました。


今、振り返ると…


ここが中国語を身につけることにつながった
ターニングポイントだったと言えます。


では、今回はここまで。



感想・質問などをお待ちしております。


claireclaire@0904@gmail.com


プロフィール Part2 〜伝わることの喜び〜


いよいよ大学での生活がスタートします。


まったく予備知識がない僕が入れられたのが…



初級ゼロ班!


初級者の中の初級者が集まる班です。


ニーハオしか知らなかったので当然といえば当然です。



理解度0%の授業


最初の授業に出て驚きました。


授業はすべて中国語で進んでいきます。


先生は、一切日本語で話してくれない。
というか、話せないらしい。



少しぐらいは、日本語で説明してくれるだろうと
思っていた僕が甘かったです。


ただただ、黒板に書かれた
意味の分からない漢字を書き写しました。



1番苦痛だと感じていたのが発音の授業です。


あれは、僕にとっては完全に罰ゲームでした。


先生が手本を見せてから…


「はい、あなたやってみて!」とジェスチャーで促します。



ひとりずつ回ってきます。


そして、自分の番がやってくる。



話すことが苦手な僕は、
音を出すことをためらっていました。


うまくできるまで何度もやらされます。


当然、他の生徒からも注目されます。


人の目に晒されたことで、余計に萎縮してしまう。


毎回のように、自分のところで止まってしまうのが
嫌で仕方ありませんでした。


もう二度とあんな風に注目されたくない。

それから、コソコソと発音練習をするようになりました。


発音を練習して上手くなりたいという気持ちではなく、
なんとかあの嫌な発音練習の授業をやり過ごしたい。


そんな思いで練習していました。



伝えるために悪戦苦闘


生活はというと…


学校内にあるホテルの1室のような寮に住んでいました。


2人部屋でルームメイトがいました。



その彼は、日本人なのですが、
僕とは正反対のアクティブな性格をしていました。


自分が話せないのもお構い無しで、
色んな中国人に声をかけていました。


しかも、すぐに仲良くなっている。


「彼は、何者なんだ!?」


僕には、魔法でも使ったように思えたものです。



そんな彼に引き連れられて、
中国人の集まりに行くことも度々ありました。


彼は自由な性格だったので、
急に用事を思い出して「あとはよろしく!」と帰ったりします。



当然、僕がその中国人たちの相手をするしかありません。


「ヤバイ、どうしよう!?」という
僕の気持ちなんか気にせず、


相手はガンガン色々と聞いてきます。



授業や単語帳で知った数少ない単語を
並べて伝えるしかありません。


発音ができないので、
単語を伝えるのにも一苦労でした。


言葉で表現できないことは、
ジェスチャーで伝えるしかありません。


電子辞書で必死に検索してみたり、
絵に描いてみたり。


伝えることに必死でした。


彼が自由すぎたおかげで、
実践する機会を何度も貰いました。


言い間違うことは日常茶飯事。


笑われたり、うまく伝わらないことばかり。


それでも、なんとか自分の言葉で伝えようと、
必死だったのだと思います。



このときばかりは、
人の目を気にする余裕がありませんでした。


あの手、この手で言葉を並べる。
手も動かし、身体も使って表現する。



「あぁ!分かった!」


相手がそう言うのを聞いて、
伝わったのが分かると、小さな達成感がありました。



「やった!伝わった!」


最初に伝わったあの喜びは、言葉にできません。



伝わらないのが当たり前の世界。
そんな中で、伝えることができた喜び。


今なら、きっと簡単にできてしまうことです。


その喜びがすべての始まりでした。



言葉は伝えるためにある。


相手に伝わるまで伝える。


それが、コミュニケーション。



それと同時に、自分の中にも伝えたいことや思いが
あることに気づきました。


ずっと昔からあったのかもしれません。


ただ、自分をずっと押さえつけてきたから気づかなかった。



自分の殻が少しずつ剥がれ落ちていくようでした。


大きく脱皮するのは、ずっと先の話です。





感想・質問などをお待ちしております。


claireclaire@0904@gmail.com





プロフィール Part1 〜未知への恐怖〜



こんにちは、Claireのトモです。


過去の自分を話すには少し勇気がいります。



今思えば、あんな風に悩んでいたなと、
懐かしい気持ちに浸ったりしますが


その当時は、本気で悩み、不安を感じ、
恐怖に怯えていました。



言語を学んでみたい気持ちがある。
なにからやっていいか分からない。


わたしには無理かもしれない。
俺には才能なんてないし、出来っこない。



もし、そう感じているとしたら、
そんなあなたにこそ読んでほしいです。


読み終える頃には、
こんな状態からのスタートでもいいんだと
思えてくるでしょう。



まったくのゼロから海外に飛び込んだ
ひとつの例だと思って、


気軽な気持ちで読み進めてみてください。



では、スタートです。



忘れもしません。


2005年の3月3日
はじめて海外に飛び込みました。


選んだ場所は、中国の上海。



なぜ、中国へ留学しようと思ったのかと、
よく聞かれます。


本当のことを言うと、ほとんどの人が信じてくれません。



なので、多くの場合は、海外に興味があって、
英語以外の言語を学んでみたかったからです。


こんな感じで、ありきたりな答えを言います。



ですが、ここでは本心をさらけ出します。


本当の理由は、自分を変えたかったからです。




その当時、僕はまったくといっていいほど、
人とコミュニケーションが取れませんでした。


人が怖くて仕方なかったからです。


そんな自分をどうにかして変えたい。



普通に高校に通うことすらできなかったので、
通信制の高校に行くしかありませんでした。


そのときの担任が中国の上海に留学しないかと、
突然、言ってきました。



変わりたいとは願いながらも、
結局はなにをすればいいか分かりませんでした。



きっと、このまま考え続けても答えは出そうにない。


だったらいっそのこと、
自分の頭では考えつかなかったことをやってみよう。



中国は世界で1番人口が多い国。
人に慣れるにはこれ以上ない場所かもしれない。



『人口が世界で1番多い国に行って、人嫌いを直す。』


僕が中国に留学した本当の理由です。



お気づきかもしれませんが…


この時点では、
僕は言語にまったく興味がありませんでした。



言葉の壁よりも先に、
人とコミュニケーションを取るための壁を感じていたからです。


日本語での会話もおぼつかない状態からのスタートでした。



「ちょっと大げさに言ってるんじゃないの?」
と言われても仕方ないと思います。


もう少しカッコいいストーリーの始まり方にしたいのですが、
それが事実なので変えようがありません。



出発の前日は、一睡もできませんでした。


何度も何度も、中国で生活している自分を想像しました。



ですが・・・


まったくイメージが出てこないのです。
どうなっているか、1週間先の未来すら見えてこない。


「うーーーっ」と唸っているうちに朝がやってきました。



そして、重い足取りで空港に到着しました。


他にも一緒に留学する人たちがいたのですが、
挨拶する余裕すらありませんでした。



僕は、完全に恐怖に押しつぶされそうになっていました。


「なんで、こんな決断をしたんだろう…。」


「このまま逃げ出したら、いっそ楽になれるかな…。」



恐怖で胸が押さえつけられる。


息をすることすらままならない。



うなだれている僕の気持ちとは裏腹に、
時間だけは過ぎフライトの時がやってきました。



座席に座り、シートベルトを締めたとき、
「もう、どうにでもなれ!」と腹を括りました。



そんな状態から、僕の中国生活は幕を開けました。



今日は、この辺で。



感想・質問などをお待ちしております。


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